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館山チャシ

青野 友哉(伊達市教育委員会文化課文化財係・学芸員)


 館山チャシは伊達市館山町に所在するアイヌ文化期のチャシ址である。当チャシは高さ約40mで、
縁辺部が絶壁である台地を利用して造られており、先端部を二重の溝により区画する、いわゆる丘先
式の形態をとっている。写真は二重に廻る溝部分であり、左側が台地の先端でチャシの内側にあたる。
2本の溝はそれぞれ接しており、併せた幅は約20m、長さは約100mにわたる。さらにチャシ内部の面
積は約2,000uと広く、その規模は道内でも最大級といえる。昭和48年、伊達市指定史跡となっている。
 チャシとは16〜18世紀の中・近世アイヌ文化期に最も隆盛したと考えられるもので、一般に砦や柵、
見張り台、談判の場、儀礼・祭祀の場などと捉えられている。現在のチャシ研究はその用途と起源を明
らかにすることに最大の力点を置いている。そのため、形態分類と各形式の年代からチャシの形態的変
遷を把握し、その用途の移り変わりを捉えようとの試みがなされている。宇田川洋は尾根の上に作られ
る丘頂式や、平地及び湿原中の独立丘を利用した孤島式が古く、次いで舌状台地の先端部に溝を持つ
丘先式、最後に川や海に面した崖の上にある面崖式へと変遷すると想定し、その用途は山上の祭場か
ら見張り、談判の場、そして和人の侵略とともに砦としてのチャシへと変化していったと考えている。ただ
し、これらを具体的に証明するには各形式ごとの年代を明らかにする必要があり、チャシの調査例の少
なさから結論を出すには至っていない。
 このような研究状況の中、1999年12月に館山チャシの工事立会調査が行われ、今まで不明であった
当チャシのおおよその築造年代を明らかにすることができた。調査は台地崖面の治山工事に伴うもので、
台地縁辺部での本発掘調査は不可能であるため、工事立会調査として行われた。調査区は南側の崖面
付近、内側の溝の底部である。調査前の溝の深さは現地表面から最大で約4mであったが、本来の溝底
部はさらに2.5m掘り下げた面で、洞爺テフラ(約9〜12万年前)を基盤としている。断面形はU字状を呈し、
土層堆積は上から有珠Va火山灰(1853年降下)、有珠Wa火山灰(1822年)、有珠b火山灰(1663年)、
駒ケ岳d火山灰(1640年)で、それぞれ間層が挟まっていた。なお、白頭山苫小牧火山灰(10世紀前半降
下)の堆積は認められなかった。よって、館山チャシの築造年代は10世紀前半から1640年までの間とい
える。ただし、底面直上の黒色土層から遺物が出土しておらず、1640年からどれほど遡るのか細かな年
代は不明である。
 館山チャシの年代がある程度判明したことにより、砦の機能を持つであろう丘先式のチャシが少なくとも
1640年以前に存在することが明らかとなった。今後の研究の一助となることを願うものである。



青野 友哉, 2000: 館山チャシ, 北海道の文化72. 北海道文化財保護協会.
  
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