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・いま、私たちのまちは「伊達」とよんでいますが、駅の名前は伊達紋別。この地も昔はモンベツとよんでいました。モンベツとは、アイヌ語のシュム・ウン・モンベツからとったことばで、「まちの中央を流れる川」という意味です。伊達という地名は、伊達邦成(くにしげ)がこの地を開拓したことからつけられたものです。そのころ、新しい明治の世の中に変わり、大名たちの土地は国の者となりました。国では北海道を外国から守らせるために各地から多くの武士を出させてふだんは畑を切り開いて農業をやり、いざというときには、鉄砲や刀をとって外国からせめてくるのを守らせました。また、開拓のために移民を募集しました。しかし、伊達を開拓した人たちは、国からの募集移民とは違い、食べ物・交通費・農具などみんな自分たちでお金を出し合い、開拓しなければなりませんでした。
・伊達を開いた伊達邦成は亘理領(宮城県仙台市の南)の殿様でしたが、新しい世の中になって家来を生活させることができなくなり、家老の田村顕允(あきまさ)の協力で北海道で新しいくらしをしようと考えました。明治3年3月、邦成は大工・人夫などあわせて250人の人たちと室蘭につきました。さっそくモンベツへいって、荒れた土地に入り、木を切り倒し、ささやぶを切り開いて、そまつな小屋を建てて生活を始めました。その後、移住は明治14年まで9回にわたり行われ、のべ2700人余りが入植しました。
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伊達市噴火湾文化研究所
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