| 伊達市の文化財について →伊達市内指定文化財一覧表 ・チャランケ岩 ・鍬入れの碑 ・バッタ塚 ・創治記念碑 ・浅見土蔵倉 ・有珠会所跡 ・東本願寺街道起点標識碑 ・歌碑 |
|
| ・伊達市民生活文化伝承者一覧 | |
・史跡北黄金貝塚については→こちら 世界遺産暫定一覧表追加資産に係る提案書(北黄金貝塚を掲載)は→こちら ・有珠善光寺については→こちら ・バチラー記念堂、バチラー八重子歌碑 については→こちら ・有珠モシリ遺跡については→こちら ・有珠4遺跡については→こちら ・伊達家能装束については→こちら ・伊達のチャシについては→こちら ・百年の樹、裁きの樹については→こちら ・開拓記念館内の文化財については→こちら を、ご覧ください ・チャランケ岩 有珠と虻田町の境界にある岩。チャランケとはアイヌ語で「談判」「論争」等の意味です。 伝承によると、ここで昔鯨がとれた時、有珠と虻田のアイヌ民族の間で、鯨の分配について 論争になり、双方の首長が七日七晩言い争った挙げ句、翌朝には二人とも岩になってしまった。 その形が、二人の人が争い合っているように見える事から、この様な面白い名が付きました。 ・鍬入れの碑 明治3年(1870年)4月14日、第一回移住者による開墾が 始まった時に、最初に鍬 が下ろされた地点に、大正8年 (1919年)開基50周年を記念して建てられました。 梅本町37に所在。 ・バッタ塚 市指定史跡。明治13年(1880年)夏、十勝に発生したイナゴの大群が、日高方面か ら胆振に襲来した折、退治したイナゴを集め塚と成したものです。 幌美内町217に所在。 ・創治記念碑 市指定史跡。第一回移住者の入植時茅屋を建てて行政所を設置し開拓の拠点とした場所で、 大正8年(1919年)4月17日、開基50周年を記念して建てられたもの。 梅本町44に所在し、碑文は下記の通りです。 『此度は明治二年八月伊達邦成男有珠郡の支配を命ぜられ同三年四月草蘆を結び筵を敷き 行政廳登為したる所なり茲に開村五〇年に方里其當時を志乃婆無可為免之れを建設して以 て後世に傳遍んとす』 ・浅見土蔵倉 市指定有形文化財。 浅見善高氏所有のもので、明治33年(1900年)頃新潟から職人を招いて 建築した 二階建ての倉。鹿島町6に所在。内部は桂材を使用しています。 ・有珠会所跡 市指定史跡。有珠に寛文年間(1661年〜1672年)に設けられ、運上金の収納、 駅逓人馬継ぎ立て、通行人の宿泊、日用品供給の業務等を行った場所です。 有珠町86に所在。 ・東本願寺街道起点標識碑 長和から壮瞥町の洞爺湖東岸を経て国道230号線に出中山峠を越し札幌に至る道を 東本願寺街道とも呼びます。 この道は、明治3年(1870年)、京都東本願寺の法主大谷現如が、僧侶その他 162名を引き連れて渡道し、邦成等紋鼈開拓者一統の協力も得て開削したものだったが、 長い年月の間にその起点位置等が不明確になっていた。伊達郷土史研究会が発見した古い 地図を元に起点を確定し、平成3年(1991年)長和住民の協力により碑が建てられました。 ・歌碑 明治4年、伊達邦成は入植地の町名を定め、家臣佐藤修亮に命じて、各々の町にちなむ 和歌20首を作らせました。 平成元年(1989年)伊達郷土史研究会によって、18基20首の歌碑が作られました。 旭が岡: ひさかたの光あまねくさしのぼる 旭が岡のあけぼののそら(舟岡町) 梅本丁: 消えのこる雪のうちより咲出て ちるをいそがぬ梅の本つ枝(梅本町) 青柳丁: 今よりや昔の春にくりかえし みどり色そうあおやぎのいと(清住町) 桜小路: 君住まばうす山桜ことしより なおひとしほの色香をぞ添ふ(松ヶ枝町) 菖蒲小路: 君と臣とふかき根ざしのあやめぐさ 今日より千代のためしとぞひく(末永町) 泉小路: せき入れてむすぶも涼しおのづから 流れの末もきよき泉は(松ヶ枝町) 桔梗小路: 秋の野に千種はあれど咲きいずる なかに色こききちこうの花(北稀府町) 萩原丁: 宮城野の秋の錦を今ここに うつしてぞみる花の萩原(萩原町) 乾小路: 天にたたい父と唱えてものものの ねざしとなるもいぬいよりして(乾町) 岩が根丁: ゆるぎなき岩根に深くこけむして なつとも尽きぬ君が行く末(中稀府町) 弄月丁: いずるより入るまで空にあくがれて 月弄ぶ秋やいくあき(弄月町) 網代丁: 網代もるひ魚のよるや待ちふけぬ つきかげ寒きうすのかわなみ(網代町) 西小路: 夕日影高ねの雲を染め色の 茜をさらす西の山の端(元町) 巽小路: 世を宇治と人の言ひしは昔にて 巽の住いなに憂かるべき(弄月町) 浜町: 世をおくるその営みに綱引きすと うすの浜辺の海士の呼び声(錦町) 南小路: めぐる日のしばしとどまる中空は ひだりも右も南とぞしれ(元町) 清住丁: 磨けただ心のちりの曇りなく げに清住の名にしおうまで(清住町) 松ヶ枝丁: としさむき霜の後にも色かえず 緑もふかくさかう松ヶ枝(松ヶ枝町) 竹原丁: 行く末は世よをこめたる竹原に 実をはむ鳥もすまんとぞ思う(竹原町) 末永丁: 祝うぞよ千歳万代君が代の 末永かれとあおぐ明け暮(末永町) 伊達邦成が若生の丘からのながめを詠んだ歌の歌碑を、長和歴史保存会が建立したものです。 くれかかる雲もさやかに目のあたり 雪もて粧ふ駒ヶ岳かな(長和町) →歌碑について、さらにくわしくは、こちら「伊達のいしぶみ」をご覧下さい。 |