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バチラー記念堂情報

バチラー夫妻記念教会堂



 昭和12年(1937年)、ジョン・バチラー夫妻の養女向井八重子(バチラー八重子)と
の弟山雄、そして多くの信者らの協力によって建てられました。
 丸い窓と白い十字架が目を引く、石造りのモダンな教会堂です。
 ジョン・バチラーは、聖公会宣教師として北海道を訪れましたが、キリスト教の布
教だけではなく、アイヌ研究にも情熱を注いだため、よき理解者として信頼を寄せる者
も少なくありませんでした。
 バチラー八重子たちが建築資金として寄付金を募った際にも、信者から多くの浄財が
寄せられたと言います。
 平成12年、老朽化した記念堂の修復工事が行われました。その際2階にバチラー神
父の遺品を展示するコーナーが設けられ、一般に公開されています。

所在
伊達市向有珠町119

■開 館 遺品展示コーナー見学を希望の場合は、事前に噴火湾文化研究所文化
課まで、ご連絡下さい。 
■料 金 無料。
■駐車場 なし
■交 通 JR有珠駅から 徒歩10分

●詳細/
    噴火湾文化研究所文化課(0142-21-5050)まで











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バチラー八重子歌碑について


写真:「アイヌの父ジョン・バチェラー」(仁多見巌)より





バチラー八重子(ばちらー やえこ)
1884−1962年.アイヌ民族出身のキ
リスト教伝道者・歌人。




1884(明治17)年6月13日、現在の伊
達市向有珠町に生まれる。
 満8歳で英国聖公会宣教師ジョン・バチラーより受洗。1902年東京の聖ヒルダ神学校
(現香蘭女学校)に学ぶ。1906年バチラー夫妻の養女となり,1909−10年バチラーに同
行し渡英.帰国後日本聖公会の平取,幌別教会等に勤務し,伝道活動につとめた。
 歌人としては、有珠の自然、アイヌの人々のこと、アイヌ伝説に取材した短歌、アイヌ
語で書かれた短歌の作等で知られる。
著書
歌集「若きウタリに」
1931(昭和6年)年出版


■バチラー八重子歌碑
 歌碑は2003(平成15年)年、有珠の人々が歌碑建立期成会を結成して
バチラー夫妻記念教会堂前庭と有珠地区コミュニティーセンター白鳥館、
有珠生活館の3カ所に建立したものです。


・【有珠生活館前の歌碑】

ごとごとと ちひさき泉 今もなほ 
埋れつつも 湧きてあるらむ

モシリコロ カムイバゼトノ コオリバカン
ウタラバピリカ プリネグスネナ

「大八州国知ろしめす神のみことのたふとしや、神のいづみのいや高に
さかえますべし」(金田一京助訳)




・【白鳥館前の歌碑】

有珠湾に まれに訪び来る 雁の群
足もぬらさで 去るぞ悲しき

ポロノット タンネシントや レブンモシリ
神の園生も かくやあるらむ




・【バチラー記念教会堂の歌碑】

春ごとに 村に訪ひ来し 閑古鳥
家の近くの 山に鳴きしか

海もよし 山もうつくし 人もよし
ほんに住みよき 有珠コタンかな

有珠山に のぼりながむる 噴火湾
岸辺にたてる 駒が嶽かな

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バチラー八重子さんの思い出
 南有珠町の吉村俊幸さん(市議会議員)は、バチラー八重子の日曜学校に
通った思い出を語ってくれました。

 私の母の実家が八重子さんの家の近く(現在の石橋商店付近)だった関係で、
八重子さんが母と知り合いで、家に何度か訪れていた記憶があります。
 八重子さんの実父(富蔵)が、立派な、地元では大変尊敬された方で、アイヌ
人の地位向上のために尽くした方でした。
 私が日曜学校に行っていたのは、小学校に入ったくらい、昭和26〜7年頃でし
ょうか。
 毎週日曜日の午前中にバチラー夫妻記念教会堂で、地元の小学生くらいの子
供達12〜3人が訪れていました。
 賛美歌を歌い、その後八重子さんが自分で焼いたクッキーみたいなお菓子を出
してくれました。外国帰りの方なので西洋風のお菓子を作ってくれたのでしょう。
八重子さんの服装はいつも和服でした。

 八重子さんが亡くなった時の葬儀の行列は、大勢が参加した大規模なもので、
海の方から共同墓地までとても長い列が続いていたことを覚えています。


参考図書「バチラー八重子の生涯」掛川源一郎 昭和63(1988)年
「アイヌの父ジョン・バチェラー」仁多見巌 昭和38(1963)年


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